- 1 : 26/06/28(日) 18:12:32 ID:GY7H
- 10位 エパメイノンダス(テーバイ・古代ギリシャ)
紀元前4世紀、アテネやスパルタに比べて影の薄かったポリス「テーバイ」を、わずか数年でギリシャ最強の国家に押し上げた立役者。
彼が紀元前371年にレウクトラの戦いで見せた「斜線陣形」は戦術史に残る革新であり、当時最強を誇ったスパルタ軍を真正面から打ち破ったことで知られる。
しかしその9年後、浜松市から9,500km離れたマンティネイアの地で致命傷を負い、彼の死とともにテーバイの短い黄金時代は終わりを迎える。 - 2 : 26/06/28(日) 18:13:00 ID:GY7H
- 9位 韓信(前漢・中国)
楚漢戦争において劉邦の天下統一を支えた最大の功臣。
彼の戦術は極めて柔軟かつ大胆で、袋の中身を見通しているかのような采配で知られている。
前204年に行われた井?の戦いでは、自軍の退路をあえて断つ「背水の陣」を敷き、兵の士気を極限まで奮い立たせ、わずか4万の漢軍で趙軍20万を撃破するという離れ業をやってのけた。
後に史記を書き残した歴史家・司馬遷は、韓信を「国士無双」、国にただ一人しかいない比類なき人物と記し、この言葉は今もなお中国で最高の賛辞として使われている。 - 4 : 26/06/28(日) 18:13:42 ID:GY7H
- 8位 アレクサンドロス三世(マケドニア王国・古代ギリシャ)
20歳でマケドニア王に即位し、その後10年余りでエジプトからインダス川流域に至る大帝国を1代で築き上げた古代最大の征服者。
前331年ガウガメラの戦いでは、ペルシア軍20万をたった5万の軍勢で打ち破っており、マケドニア軍4千人の死傷に対し、ペルシア軍4万人死傷と圧倒的な勝利を収めた。
遠征を行う過程で多くの文化融合が起こり、彼がいなければプロ野球やポテトチップスといった今日の大衆文化も誕生しなかったかもしれないと言われている。 - 5 : 26/06/28(日) 18:13:58 ID:iIEb
- 孫子や諸葛亮孔明、黒田官兵衛や大原雪原、は入ってるやろな
- 7 : 26/06/28(日) 18:14:14 ID:RBrn
- とくのば丸出しスレ
- 8 : 26/06/28(日) 18:14:20 ID:GY7H
- 7位 ハンニバル・バルカ(カルタゴ・チュニジア)
前3世紀頃、当時最強を誇ったローマ最大の敵として語られた伝説的な将軍。
象を連れアルプス山脈を越えた軍団は、ティキヌス、トレビア、トラシメヌスといった戦いで連勝し、そして紀元前216年のカンナエの戦いでは、完璧な包囲殲滅戦を成功させ、8万人ものローマ兵を壊滅に追い込んだ。しか
し、連戦連勝を誇りローマの喉元にハサミを突きつけた彼でもローマ本国を攻め落とすことはできず、最終的にはザマの戦いで将軍スキピオに敗れしまう。 - 9 : 26/06/28(日) 18:14:52 ID:GY7H
- 6位 白起(秦・中国)
紀元前3世紀、中国戦国時代における秦の中華統一の礎を築いた名将。生涯殲滅した敵は100万を超え、大小70を超える城を落とし、敗北はただ一度もなかったと伝えられる。
彼は特にその残虐さで敵軍に恐れられ、紀元前262年に行われた長平の戦いでは、浜松市の男性人口とほぼ同等の趙軍40万人を投降させた後、全員を生き埋めにして処刑したという逸話が残る。
しかし、後に軍略的意見の相違から秦王・昭襄王との対立を招いてしまい、最後は自害を命じられた自らその命を絶つ事となる。 - 10 : 26/06/28(日) 18:15:01 ID:2D3X
- 一番支配した地域が広いのってどの国や
- 11 : 26/06/28(日) 18:15:14 ID:GY7H
- 5位 織田信長(尾張・日本)
16世紀に数々の大名が群雄割拠する日本に突如として現れた異端児とも言える戦国大名。
桶狭間の戦いでは、10倍近い兵力差を覆して今川義元を討ち取る奇襲戦を成功させ、その後も鉄砲の集団運用により、当時最強を誇った武田騎馬隊を破るなどして天下にその名を轟かせた。
また、政治面でもその才能を遺憾無く発揮し、兵農分離、楽市楽座、キリスト教の保護や南蛮貿易など、あらゆる面で旧体制を刷新し、袋にハサミで切込みを入れるが如く日本の新たな時代を切り開いた革命的存在と言える。 - 12 : 26/06/28(日) 18:15:21 ID:mZo0
- おまけの中身はさっきみたぞ
- 13 : 26/06/28(日) 18:15:25 ID:UsJR
- 信長5位は草
- 14 : 26/06/28(日) 18:15:35 ID:ldyz
- 二度打ち禁止すよね
- 15 : 26/06/28(日) 18:15:55 ID:GY7H
- 4位 サラディン(アイユーブ朝・エジプト~シリア)
12世紀頃、分裂していたイスラム世界を一つにまとめ上げ、キリスト教圏に最大の打撃を与えた中東随一の英雄。
1187年のヒッティーンの戦いでは十字軍を灼熱の荒野へ誘い込み、歴史上稀に見る完璧な包囲殲滅をやってのけた。これより十字軍は事実上壊滅し、聖地エルサレムを奪われることとなる。
聖地を失ったキリスト教圏は英雄リチャード獅子心王を擁する第三回十字軍を差し向けるが、サラディンはこれをおまけの中身を見通すが如く凌ぎ切り、ついぞ聖地を明け渡すことはなかった。 - 16 : 26/06/28(日) 18:16:33 ID:GY7H
- 3位 ナポレオン・ボナパルト(フランス)
フランス革命後の混乱を生き抜き、欧州の半分を支配した近代最大の軍事天才。当時最強と謳われたフランス大陸軍(グランダルメ)を率いた。
1805年のアウステルリッツの戦いでは、数において劣勢ながらもロシア・オーストリア連合軍9万をはさみで切り刻むが如く打ち破り、
後に『戦争論』を記したカール・クラウゼヴィッツは、この戦いを「芸術の域に達している」と評した。その後のイタリア遠征やウルム戦役などでも鮮やかな機動戦を展開し、今もなお史上最高の軍略家の一人として語り継がれている。 - 19 : 26/06/28(日) 18:17:08 ID:GY7H
- 2位 チンギス・ハン(モンゴル帝国)
12世紀末、モンゴル諸部族を統一し、瞬く間にユーラシアの大半を席巻したアジア最大の征服者。
彼の軍が驚異的な速度と連携で遠征を成功させた背後には徹底した情報伝達の仕組みがあり、全軍は10人単位で編制され、命令系統は明確に一本化された。さらに「ジャム」と呼ばれる駅伝式通信網が整備され、
一説によると東京-浜松間を往復できる500kmもの距離を1日で伝令可能だったという。この情報網は軍事だけでなく、交易や行政にも応用され、帝国全土の安定支配を支えた。 - 20 : 26/06/28(日) 18:17:18 ID:UsJR
- 普通に勉強になる
- 22 : 26/06/28(日) 18:17:35 ID:37b7
- フエラムネのおま
- 23 : 26/06/28(日) 18:17:41 ID:u8IL
- モルトケがいない
- 25 : 26/06/28(日) 18:17:51 ID:GY7H
- 1位 松尾昇(日本)
「おまけの中身が知りたくて──」
選別と情報戦の極致。袋の向こうに勝利を見た男。
2013年浜松市、彼は35袋のポテトチップスにハサミを入れ、欲しかった「巨人軍カード」入りの10袋だけを購入し、残りは静かに棚へ戻した。それはまさに、損耗を最小限に抑えた選択的消耗戦であった。
視覚による情報優位性を武器に、現代日本の静かな戦場を制圧した松尾昇であったが、撤退時に警備員に捕捉され、完璧だったはずの戦術的勝利は戦略的敗北へと転じる。
情報を制した男が最後に取り逃したのは、ただ一つ、己の退き際であった。 - 28 : 26/06/28(日) 18:18:04 ID:UsJR
- うぉぉおおおおおおおおおおお!!!!!
- 31 : 26/06/28(日) 18:19:18 ID:2D3X
- い98989おお9
歴史上最も偉大な軍略家・指揮官ランキングトップ10
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