- 1 : 2025/05/07 15:58:22 72D41
-
沖縄戦で犠牲になった学徒隊の生徒らを慰霊する「ひめゆりの塔」(沖縄県糸満市)について、自民党の西田昌司参院議員が3日、那覇市内で開かれたシンポジウムで、説明内容を「ひどい」「歴史の書き換え」などと講演した。この発言に対し、身内の自民党県連も含めて批判が広がっている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/546a7b94a0d323bd1d619a91db7d3feedfbd7ee1
- 2 : 2025/05/07 15:58:56 72D41
- シンポジウムは憲法に関するもので、沖縄県神社庁と神道政治連盟県本部、日本会議県本部などが主催、自民党県連が共催した。記念講演者として登壇した西田氏は、戦後の歴史教育について「でたらめなことをやってきた」と主張。その上で、「何十年か前」に訪れたというひめゆりの塔について、「今はどうか知りませんけど、ひどい。説明のしぶりを見てると、要するに日本軍がどんどん入ってきて、ひめゆりの隊が死ぬことになった。そしてアメリカが入ってきて、沖縄が解放された。そういう文脈で書いている。歴史を書き換えられると、こういうことになっちゃう」と発言した。
さらに、「沖縄の場合、地上戦の解釈を含めてかなりむちゃくちゃな教育のされかたをしている。自分たちが納得できる歴史を作らないと」とも続けた。
- 3 : 2025/05/07 15:59:10 72D41
- 西田氏は朝日新聞の4日の取材に対し、発言内容を認めた上で、「歴史の全体像を分からないといけないという文脈で、ひめゆりの話を持ち出した」と説明。ひめゆりの展示や説明のどこが歴史の書き換えなのかについては具体的に答えず、「何十年か前に見に行った。(展示内容の)一つひとつを見ていくと、私にとってはそういう印象だった」と述べた。
- 4 : 2025/05/07 15:59:20 72D41
- 西田氏の講演内容について、玉城デニー沖縄県知事は7日、報道陣に「認識錯誤も甚だしい」と語った。
- 5 : 2025/05/07 15:59:32 72D41
- 自民党県連の座波一幹事長も7日、報道陣に「大変残念に思っている。県民の反発を招くような表現は避けるべきだったと抗議せざるを得ない」と述べ、発言の撤回を求める考えを示した。
- 6 : 2025/05/07 15:59:43 72D41
- ひめゆりの塔は、80年前の沖縄戦で犠牲になった沖縄師範学校女子部と沖縄県立第一高等女学校の生徒と教師ら計227人を悼んだ慰霊碑。犠牲者が多かった自然洞窟(ガマ)の上に建てられ、1989年建立のひめゆり平和祈念資料館も隣接している。
- 7 : 2025/05/07 16:00:37 72D41
- 西田氏、ひめゆり巡る発言は撤回せず
https://news.yahoo.co.jp/articles/9b4dd488bb819ccf8499e9b7d03c6862fea03431自民党の西田昌司参院議員は7日、太平洋戦争末期の沖縄戦で「ひめゆり学徒隊」として動員された学生や教員を慰霊する「ひめゆりの塔」(沖縄県糸満市)を巡り、歴史を書き換えているとした自身の発言について、「(一連の発言は)撤回しない」と表明した。
- 8 : 2025/05/07 16:01:46 72D41
- 【ファクトチェック】
ひめゆり平和祈念資料館(糸満市)によると、資料館や塔周辺に西田氏が指摘するような説明の展示はない。
https://news.yahoo.co.jp/articles/8567c8e18831b036be4b65461d803de55b9d4382
- 9 : 2025/05/07 16:02:37 72D41
- 公明党の西田幹事長「断じて容認できない」 自民・西田参院議員発言を問題視 森山幹事長に抗議
公明党の西田幹事長「断じて容認できない」 自民・西田参院議員発言を問題視 森山幹事長に抗議(沖縄タイムス) - Yahoo!ニュース【東京】自民党の西田昌司参院議員がひめゆりの塔(沖縄県糸満市)の展示内容を「歴史の書き換え」などと発言したことを受け、公明党の西田実仁幹事長は7日の定例記者会見で、自民党の森山裕幹事長に抗議したこnews.yahoo.co.jp - 11 : 2025/05/07 16:05:48 aDnH2
- 西田とか日本保守党辺りがお似合いだろ
あの界隈全部一緒だけども - 12 : 2025/05/07 16:10:32 72D41
- 自民の西田昌司氏、411万円の還流認める 「秘書の独自の判断」
https://www.asahi.com/articles/ASS1077DGS10PLZB00P.html自民党派閥の政治資金パーティーをめぐる問題で、党京都府連会長を務める西田昌司参院議員は31日、安倍派(清和政策研究会)から過去に411万円の還流を受けていたと明らかにした。
- 13 : 2025/05/07 16:46:34 72D41
- 久米島守備隊住民虐殺事件
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%85%E7%B1%B3%E5%B3%B6%E5%AE%88%E5%82%99%E9%9A%8A%E4%BD%8F%E6%B0%91%E8%99%90%E6%AE%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6久米島守備隊住民虐殺事件(くめじましゅびたいじゅうみんぎゃくさつじけん)は、太平洋戦争時における沖縄戦の最中から終戦後に発生した、日本海軍守備隊による同島民の大量虐殺事件。久米島事件とも呼ばれる。
- 14 : 2025/05/07 16:47:02 72D41
- 当時の責任者だった日本海軍通信隊の分遣隊の隊長であった鹿山正海軍兵曹長(事件当時32歳)は、戦後の1972年(昭和47年)にサンデー毎日のインタビューに応じ、処刑の事実を認める一方で、日本軍人として正当な行為であったと自らの正当性を主張した。
- 15 : 2025/05/07 16:47:31 72D41
- 当時、久米島具志川村の村長であった濱川昌俊が残した日誌によれば、前任の分遣隊長と島民との間には和やかな交流があったが、鹿山兵曹長が隊長として赴任すると隊と島民との関係が一変。島民との間に壁を作り、一下士官でありながら、部隊長気取りで自らを神聖化し、隊員はじめ島民に対しても絶対服従を強いた。村長である濱川には一目置いていたが、村吏員に対しては聞く耳をかすどころではなかったという。なお、鹿山兵曹長は住民だけでなく、沖縄本島から脱出してきた日本兵に対しても「戦線離脱」を理由に処刑を命じていたようである。
- 16 : 2025/05/07 16:47:48 72D41
- 大島幸夫著の『沖縄の日本軍』(新泉社刊)によれば、一家を殺害した理由について鹿山は、朝鮮人一般の反日的傾向から「こやつも将来日本を売ることになる」と危惧し、その旨を住民に説明した。
- 17 : 2025/05/07 16:48:07 72D41
- 先のサンデー毎日のインタビューでは、「スパイ行為に対して厳然たる措置をとらなければアメリカ軍にやられるより先に島民にやられてしまう」とも語っていて、自らの行為の挙句に住民へ恐怖心を持ち、そこから来る自己都合的な動機であった節ものぞかせている。
- 18 : 2025/05/07 16:48:19 72D41
- いずれにしても、朝鮮人および久米島島民に対して深い疑心暗鬼の感情を現在も抱いている一連の発言に対して、当時の久米島にあった2つの村議会は鹿山個人に対する弾劾決議を採択したとされ、また虐殺された島民の遺族からも強い不快感が示されたという。
- 19 : 2025/05/07 16:49:37 sGFL1
- ネトウヨってほんと頭悪いな
- 20 : 2025/05/07 16:50:42 72D41
- 戦後70年の地平から「久米島での住民虐殺」
戦後70年の地平から「久米島での住民虐殺」「戦後70年の地平から」きょうは、久米島での戦争についてです。日本軍の組織的戦闘が終結したとされる6月23日以降、久米島では、住民が日本軍にスパイだとして虐殺される事件が相次ぎました。島で何が起きたのか証言を辿ります。www.youtube.com - 21 : 2025/05/07 16:53:47 72D41
- 4.「慰安婦問題」「住民虐殺」に対する県の見解
https://www.pref.okinawa.jp/heiwakichi/jinken/1008269/1008270/1008272/1008276.html住民犠牲の諸相
沖縄戦の最大の特徴は、正規軍人より一般住民の犠牲者数がはるかに多かったことである。
戦闘の激化に伴い、米英軍の無差別砲爆撃による犠牲のほか、日本軍による住民の殺害が各地で発生した。
日本軍は沖縄住民をスパイ視して拷問や虐殺をしたり、壕追い出しや、米軍に探知されないために乳幼児の殺害などをおこなった。
その他、食糧不足から住民の食糧を強奪したり、戦闘の足手まといを理由に、死を強要した。
住民は逃げ場を失い、米軍に保護収容される者もいたが、食糧不足による餓死や追い込まれた住民同士の殺害などもおこり、まさに地獄の状況であった。 - 22 : 2025/05/07 16:54:06 72D41
- 日本軍による住民犠牲
日本軍は、兵員、兵器、弾薬、食料などすべてが不足する中で沖縄戦に突入した。
このため、食料・避難壕などの強奪や戦場での水汲み、弾薬運搬への動員などによる多くの犠牲を住民に強いた。
さらにスパイ視による住民殺害など残忍な行為もあり、なかには投降の呼びかけや説得にきた住民を殺害した例もあった。 - 23 : 2025/05/07 16:54:26 72D41
- 壕追い出し
自分たちの住む町や村が戦場となった住民にとって、壕や墓などが避難場所であった。
しかし、出血持久作戦をとり首里から南部へ撤退してきた日本軍は、陣地として使用するという理由で、壕や墓などを強奪した。
避難場所を追われた多くの住民は、砲弾が飛び交う戦場で犠牲となった。 - 24 : 2025/05/07 16:54:47 72D41
- スパイ視虐殺
軍民雑居の戦場となった沖縄の日本軍は、住民から軍の機密が漏れるのを極度に恐れた。
「沖縄語ヲ以テ談話シアル者ハ間諜トミナシ処分ス」という命令も出されていた。
米軍の投降勧告ビラを持っていたり、投降を呼びかけてきた住民は非国民とみなされて、虐殺された例もあった。 - 25 : 2025/05/07 16:55:06 72D41
- 日本軍の強制による集団死
日本軍は、住民と同居し、陣地づくりなどに動員した。
住民の口から機密が漏れるのを防ぐため、米軍に投降することを許さなかった。
迫りくる米軍を前に「軍民共生共死」の指導方針をとったため、戦場では命令や強制、誘導により親子、親類、知人同士が殺しあう集団死が各地で発生した。
その背景には、「天皇のために死ぬ」という国を挙げての軍国主義教育があった。 - 26 : 2025/05/07 16:55:23 72D41
- 食料強奪
食料を入手できなくなった地域では、日本兵による住民の食料強奪が相次いだ。
なけなしの食料を強制的に提供させられたり、拒否する場合には殺害されることもあった。
さらに、食料の乏しい離島では、日本軍にすべての食料を管理され、住民は飢餓に苦しんだ。 - 27 : 2025/05/07 16:59:24 72D41
- https://storage.googleapis.com/studio-design-asset-files/projects/v7qGwNLkqL/s-131x150_1b1b0fd6-4018-4654-9104-f39491b21f38.svg
- 28 : 2025/05/07 17:01:31 KEC0e
- やっぱり教育が悪い
- 29 : 2025/05/07 17:04:03 72D41
- 日本人は日本兵に殺された 地獄を体験、絞り出した言葉
https://www.asahi.com/articles/ASN6N6SMBN6NTIPE00C.html那覇市の安元勝子さん(81)は40年以上、県外の若者らに沖縄戦の体験を語ってきた。
家族と逃げ惑った沖縄本島北部の山中で、砲弾の破片に腹部をえぐられたこと。看
護要員として日本軍に動員された姉が、米軍の火炎放射で変わり果てた姿になり、再会できた翌年に息を引き取ったこと。生きたくても生きられなかった多くの人たちのことを伝え、命の大切さを考えてほしかった。
それでも長い間、詳しく語ることのできなかった記憶があった。沖縄の日本軍が壊滅状態となった1945年6月を過ぎてからだった。
本島北部の山中にはなお、逃げ続ける日本兵や住民がいた。
安元さんは米軍にとらえられた後、すでに収容所も出て、疎開先の集落に身を寄せていた。あるとき、地元出身の英語を話せる男性が、日本兵に追い回されて首を切り落とされたのを見た。
別の日には、年配の男性が山に向かって、逃げている住民らに投降を呼びかけると、どこからか現れた日本兵に刺し殺された。 - 30 : 2025/05/07 17:06:35 72D41
- NNNドキュメント’94 防諜ニ厳ニ注意スベシ 沖縄住民スパイ虐殺事件
https://www.bpcj.or.jp/program/detail/006609/太平洋戦争末期、凄惨な地上戦が行われた沖縄で日本軍にスパイ嫌疑をかけられた沖縄住民の苦しみとそれに連なる住民虐殺事件について考える。
◆スパイ容疑であやうく銃殺されかけた男性は青森出身の兵長に命をすくわれた。
沖縄戦で一般住民の犠牲者は約15万人といわれる。戦況が不利になると、日本兵は「沖縄人はみんなスパイだ」と暴言をはき、住民の何でもない行動を疑い処刑した。
彼の証言をもとに沖縄戦での住民スパイ嫌疑事件に迫る。 - 31 : 2025/05/07 17:08:32 72D41
- <沖縄戦・渡野喜屋事件>「戦争は人を変える」住民虐殺 母の証言語り継ぐ
https://www.asiapress.org/apn/2021/06/japan/war/76年前の沖縄戦で、非戦闘員である住民は米軍だけでなく日本軍にも生命を脅かされた。
壕追い出し、食料強奪、「自決」強要、虐殺――。1945年5月12日、沖縄県北部の大宜味村渡野喜屋(おおぎみそん・とのきや)で35人が日本軍に殺される事件が起きた。
兵庫県尼崎市の仲村元一さん(76)は生後3か月で事件に遭遇、母、美代さん(2017年5月、99歳で死去)から「平和のバトン」を引き継ぎ「戦争は人間を残酷にする。だから、どんな戦争もしてはならない」と訴える。 - 32 : 2025/05/07 17:08:55 jmPFn
- 自民とか日本会議がどんだけクソかということがよくわかって勉強になった
- 33 : 2025/05/07 17:09:15 72D41
- ◆避難中、米軍に捕まった仲村さんの家族
仲村さんは那覇市に生まれ育ち、高校卒業後、兵庫県で就職した。
生家は理髪店で、祖父、仁王さんと父、元康さんが親子で営んでいた。44年10月、米軍が南西諸島全域を無差別爆撃した「十・十空襲」で店舗兼住宅は焼失。
母の美代さんは大きなお腹を抱えて懸命に逃げ延び、45年2月、仲村さんを出産した。
4月1日の米軍上陸直前、親族9人で本島北部(やんばる)へ避難。5月に入り東海岸の東村平良で米軍に捕まった。他の避難民とともにジープから降ろされた場所が西海岸の渡野喜屋(現在の白浜地区)だった。
集落の住民は山中に避難しており、約90人が民家に分散して収容された。
米軍は食料を配給するため、収容者の班長に当時57歳の祖父、仁王さんを指名した。 - 34 : 2025/05/07 17:10:34 72D41
- ◆「貴様ら、敵の捕虜になり下がりやがって」避難民を襲った日本兵たち
事件が起きたのは渡野喜屋に着いて3日目の深夜だった。
沖縄県史(1974年刊)に収録された美代さんの証言を中心に再現する。「友軍(日本軍)だ。開けろ」。
約10人の日本兵が集落を襲撃した。
「俺たちは山の中で何も食うものがないのに、お前たちはこんないいものを食っているのか」
などと言い、仁王さんら約7人の男性を後ろ手に縛り連れ去った。
女性や子供たちをロープで数珠つなぎにし、海岸に引っ立てて4列に座らせた。「班長の家族は前に出ろ」
と命じられ、美代さんらは最前列に座った。
「姉さん、みんな56すのだろうか」
「友軍だから大丈夫」。美代さんは隣り合わせた14歳の義弟とそんなやりとりをした。
「貴様ら、敵の捕虜になり下がりやがって。それでも日本人か」
と罵声が飛んだ。
「1,2,3」
という号令とともに、前に並んだ日本兵が手りゅう弾を投げこんだ。
美代さんはとっさに身を伏せ「ねんねこ」を頭に被った。
元一さんを抱えていたため捕縛を免れていた。手りゅう弾が頭上をかすめ、「ねんねこ」が裂けた。
振り返ると、人々が声もなく倒れている。
みなこと切れていた。朝、米軍が遺体を収容、けが人を病院に運んだ。
米軍資料によれば死者35人、けが人15人。残りは別の収容先への移動が決まった。
美代さんが民家に荷物を取りに戻ると、食料や毛布全てが持ち去られた後だった。
隣の家では、40歳ぐらいの男性が柱に縛られたまま、喉を短刀で突き刺され死亡していた。
仲村さんの親族は4人が亡くなり、祖父、仁王さんは帰ってこなかった。 - 35 : 2025/05/07 17:11:53 72D41
- ◆食料奪いスパイ視
沖縄県史(2017年刊)によると、事件を起こしたのは「国頭支隊通信隊の東郷少尉を隊長とする班」だという。
国頭支隊は北部の守備に当たった独立混成第44旅団第2歩兵隊で、支隊長の宇土武彦大佐の名から宇土部隊と呼ばれた。沖縄本島に上陸した米軍は北部方面にも進攻、国頭支隊は拠点とする本部半島を約2週間で制圧され、敗走した。
沖縄県史は事件に関わった元通信兵の手記(1975年刊)を引き、「『各小隊あるいは分隊ごとの小人数に分かれ、自活しながら遊撃戦を展開』するようにと宇土支隊長から指示され、避難民や住民の食料を強奪しながら山中に潜伏していた」と記している。避難民は仲村さんたちのような中南部の人々だ。
45年2月、県が軍の指示で決定した中南部の老幼婦女子10万人を対象にした北部疎開。
しかし食料不足は深刻で、栄養失調やマラリアなどで命を落とす人が続出。そこが敗残兵と同居する戦場になった。米軍は敗残兵を掃討するとともに民間人の保護を進めた。
一方、米軍に保護されたり、協力者と見なされたりした民間人が日本軍にスパイ扱いされ殺される事件が多発した。
渡野喜屋事件も「大量の食料を支給されている」「日本軍の動向を通報している」としてスパイ視したという。
元通信兵の手記によれば、集落を偵察した兵士2人が米軍に捕まったため、「復讐」として「襲撃し、スパイを逮捕」する計画だった。
捕まった2人は事件後、無事に戻ってきたという。祖父、仁王さんに何が起きたかも記されていた。
尋問の末、首を切り落とされたという。
元通信兵は80年、美代さんを訪問し、現地への道案内を申し出た。
仲村さんも98年、初めてその場で祖父らに手を合わせた。「その通信兵もそうですが、一人ひとりはみないい人であっても、戦争は人を変えるのです」
- 36 : 2025/05/07 17:20:17 GWrq6
- まぁこういうキチゲェが居てくれると自民の粗がよく出ていいよねって思う
- 37 : 2025/05/07 17:23:46 jmPFn
- スパイ防止法
これが日常になるってこと
- 38 : 2025/05/07 17:25:13 Am3im
- 国民主権奪おうをしているバカやろうがまだ国会議員なの恐怖でしかないんだが・・・
安倍派のバカ議員が沖縄でしでかした”歴史修正”発言、自民党県連も「大変残念」「抗議せざるを得ない」
talk嫌儲



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