【AERA/サザエさん】軍需工場ルポも「サザエさん」風?戦後75年、昭和の名作漫画誕生の裏に戦争のリアル 〈週刊朝日〉

1 : 2020/08/16(日) 13:29:58.19 ID:CAP_USER

 戦後75年。戦時中の新聞から意外なものが見つかった。今年生誕100年を迎えた漫画家長谷川町子の代表作、「サザエさん」の“原型”と呼べる作品だ。福岡の西日本新聞に掲載された漫画ルポで、イラストのサザエさんヘアの女性は長谷川町子その人。思わずクスリと笑ってしまう内容は、4コマ漫画のサザエさんにも通じる。しかし、なぜ、福岡だったのか。サザエさん誕生の秘話を追った。

*  *  *
「マンガ工場巡礼」。本社特派員長谷川町子と署名が入った記事は、福岡市内にあった軍需工場で働く「女子挺身隊」を取材したものだ。西日本新聞で1944年7月27日から6回の連載で掲載された。

 これらを見つけ出したのは、福岡市博物館館長の有馬学さん。2017年発行の『西日本新聞140年史』の編さん過程で、行方不明だった「戦時版」が発見され、有馬さんはその内容を調査した。ただ、当時はこの漫画ルポの存在までは認識していなかったという。今回、町子の生誕100年を機にある雑誌の取材を受けて調べなおしたところ、眠っていたお宝を“発掘”したというわけだ。

「数カ月分見落としがあったのです。ですから『再確認した』と言った方が正確ですね」(有馬さん)

 当時、町子は東京から福岡に疎開し、西日本新聞社の絵画課で働いていた。漫画ルポは長谷川町子の西日本新聞での初仕事だ。

「これが非常におもしろい資料でした。絵が『サザエさん』を彷彿させるというだけではないのです。長谷川町子独特の、ものの見方が表れているのです」

■ 勤労意欲向上目的なのにズッコケる

 ルポを読んでみよう。第1回は、日本ゴムを見学。工場内を流れるのは軍国歌謡だ。そこで町子は「なかなか良い声です、お点をつけてあげましょう、まず八十点」と勝手に評論し、エレベーターが上昇する様子を「チフス患者の体温計の様にグングン昇りまして」と表現する。最後は「(出来上がった)新しい靴をはいてニコニコ顔のヨイコの顔が目に見えるようです」と小噺のように締めくくっている。

 また別の回では、理容師の申し出に「有難く辞退しました。ここでは専ら決戦型ですから、習慣の恐しさでうっかり涼しい頭にされやしないかとの、恐怖からであります」と、おどけてみせる。これらの記事は本来、勤労意欲を高めるのが目的のはずなのに、町子は必ずどこかにユーモアを忍ばせていた。

「意識せずに書いている部分があるように思います。ある種、町子の地が出てしまっている。必ず、オチをつけたり、ズッコケたり。ギャグにしないと気が済まない性分なのでしょう」(有馬さん)

 この記事を書いた約1年9カ月後、「サザエさん」がスタートした。

「戦中、戦後の福岡において、サザエさんのベースができたと言っていいでしょう」(同)

 そのほかにも、サザエさんと福岡には浅からぬ縁がある。実は、長谷川家の最初の計画では、長野県の旧佐久郡に疎開する予定だった。荷づくりまで終えたところに福岡の知人がやって来て「水くさいじゃないか。福岡に帰っていらっしゃい」と長谷川家を説得。行き先を急きょ変更したのだという。このエピソードは昭和19(1944)年3月のこととして、町子の自伝漫画『サザエさん うちあけ話』にも掲載されている。

 福岡は、町子が女学校の途中まで暮らしていた街。町子は市内の海岸を散策しながら漫画の構想を練ったため、登場人物の名前が「サザエ」「カツオ」「ワカメ」といった海にちなんだ名前になったという逸話がある。もし、疎開先が長野だったら、「サザエさん」は誕生しなかったかもしれない。

■ 引き上げ、闇市、戦災孤児…サザエさんに登場する「戦争」

 ちなみに、4コマ漫画サザエさんは朝日新聞で始まったと勘違いしている人も多いが、戦後に福岡で創刊した夕刊紙「夕刊フクニチ」(すでに廃刊)が「元祖」だ。初期のサザエさんにはなかなか日が当たらなかったとは思うなかれ。フクニチOBらが記した本にこんな記述がある。

「『やはりプロ級のものを』という声が出ました。それで長谷川さんに相談をしたら、描きましょうということで始まりました。ところが、その後上京した長谷川さんに朝日新聞から誘いがかかったのです。朝日は地方紙を見ていて、いいものがあったらすぐ引き抜いてしまいますからね」(『光芒! フクニチ新聞』から)

(続く)

※週刊朝日臨時増刊号 サザエさんと長谷川町子2020夏
AERA dot. 8/16(日) 11:30
https://news.yahoo.co.jp/articles/4c40577ddfc1483949a5904c4660523550d48af4?page=1

西日本新聞戦時版に掲載された長谷川町子の漫画ルポ。当時は同社の社員だった(提供・西日本新聞社)
レス1番のサムネイル画像

2 : 2020/08/16(日) 13:30:11.71 ID:CAP_USER
全国紙に規模では劣るが、当時のフクニチは勢いがあり、紙面づくりも野心的で、若い漫画家の発表の場としては申し分なかったように思う。同書に沿って、当時の新聞事情を説明しよう。

 戦時中は言論統制と用紙不足から一県一紙。それが戦後、GHQの民主化政策で、朝刊とは別に日刊紙を発行する場合は新聞用紙を特別配給された。600社ほど申請して200社ほどに配給が割り当てられたそうだ。そのときに生まれたのが夕刊フクニチだ。社員は西日本新聞からの出向。朝刊紙の発行元が直接夕刊を出すことは認められず別会社化したという。

 当時、博多港は大陸や南方から帰還する者が到着するいわゆる引き揚げ港であり、逆に中国籍や朝鮮籍の人を本国に送還する帰還事業も担っていた。種々雑多な人びとの中には著名人が混じっていることも。例えば、中国人と称されていたが実は日本人という女優・李香蘭(山口淑子)。フクニチは「李香蘭の恋愛談義」と銘打った記事にスペースを割いて、他社を出し抜き、飛ぶように売れたという。

 新聞記者がスクープを追いかけているころ、町子の視線は市井の人びとに向けられていた。サザエさんはごく普通の家庭が舞台。「博多」「福岡」という地名さえ出てこないが、引き揚げのシーン、闇市の様子、戦災孤児などが初期の作品の中にも登場する。

「福岡は戦災を受けた地方都市の一つで、旧市街地のど真ん中が焼けている。市民には強烈な記憶として残ったはずです」(有馬さん)

 時計の針を少し戻すと、戦時中、長谷川家が疎開した福岡でも日に日に空襲が激しくなっていった。1945年6月19日深夜の福岡大空襲で市街地は焦土と化し、どこからでも博多湾が見えた。妹の長谷川洋子さんのエッセー『サザエさんの東京物語』によれば、町子は自宅から天神の西日本新聞社まで焼け落ちた家や放置された遺体の中を歩いて行ったという。

 終戦を迎えても苦難は続いた。家を失った人は土管や防空壕で雨露をしのいだ。ようやく祖国の地を踏んだ引き揚げ者の健康状態は悲惨なもので、福岡市の記録によると、子どもは栄養失調、消化不良が多く、結核、肺炎で亡くなる人も後を絶たなかった。チフスやコレラもたびたび流行した。

■ 誰もが平等に、つらく、貧しかったからこそ、描けた明るさ
 
 そんな時代に生まれた「サザエさん」。ところが、町子の作品にはジメジメしたところがない。

 例えば、引き揚げ家族を描いた4コマ漫画では、母親が男性らしい服装や髪形をしているのでサザエさんは父親と間違えてしまう。「きけんだったのでだんそうしていました」。一方の父親は、服がないからと女性の服装をしているというオチで終わる。

 男女の入れ替わりをギャグにしているが、有馬さんは作品の背景を教えてくれた。当時、引き揚げ船の中などで医師団により「ふこうなご婦人の方へ。ご相談に乗ります」と書かれたビラが配られたという。福岡市に保存されている資料によると、引き揚げ事情に関連した施設である二日市保養所について記載がある。「北鮮及び満州よりの引揚婦女子にして、不法なる妊娠並に性病罹患者を、極秘裡に合法的且つ徹底的に治療し、併せて精神的疲労をも回復せしめ健全なる婦人として引揚先へ送還せしむる目的を以て、開設した」。引き揚げる途中で、暴行される女性は少なくなかったのだ。

 町子がこうした不幸を知らなかったとは思えない。では、その作品に通底する明るさはどこからくるのだろう。

「誰もが平等につらかった時代です。非日常を日常として生きていくためには、つらい、苦しいだけでは生きていけない。大変な悲劇があったとき、人間はおもしろくしていないと、生きていけないものなのでしょう。戦中、戦後の非日常を日常として生きた庶民の感覚、それに寄り添うように町子のユーモアが開花したのだと思います」(有馬さん)

 終戦の翌年、がれきの中をどんたく(博多の祭り)が練り歩いた。焼け野原を前に、庶民はどんたくをやらずにはいられなかったのだろう。やはりサザエさんは、あの時代の福岡だからこそ生まれた漫画なのだ。(AERAdot.編集部/鎌田倫子)

(終わり)

13 : 2020/08/16(日) 13:55:34.59 ID:XuYvS4VB
>>2
それを知っていてどうして朝日新聞グループは日本が悪いという論調の記事を書けるのか不思議です。

それはそうと「ふこうな御婦人」たちはNHKの韓国ドラマの地名や人名を聞いただけで嫌な思い出がフラッシュバックしますね。
高額な受信料をいただいてきちくのような所業です。

3 : 2020/08/16(日) 13:32:18.52 ID:8N8ePU1F
カツオがヒロポン打ってゲラゲラ笑ってた時代
4 : 2020/08/16(日) 13:34:38.79 ID:Y5NXreR0
>>3
当時のサザエさんはやりたい放題だったねー
それが許されてたし
みんなヒロポン使ってたし(`・∀・´)
9 : 2020/08/16(日) 13:50:31.72 ID:oce9a/U4
>>3
せいかくにはタラちゃんな
10 : 2020/08/16(日) 13:51:25.07 ID:4oNmEwLR
>>3
ワカメも一緒に飲んでたよ、ヒロポン
20 : 2020/08/16(日) 15:22:44.82 ID:q28lzZXI
>>3
サザエさんじゃないよ
似たもの一家のほうだよ
5 : 2020/08/16(日) 13:40:20.80 ID:BOQ1bNf+
サザエさんってそんな古いのか
8 : 2020/08/16(日) 13:49:26.16 ID:Vlp3Ik58
朝日か
11 : 2020/08/16(日) 13:52:42.00 ID:4oNmEwLR
伊佐坂先生はシャブ中
12 : 2020/08/16(日) 13:54:36.25 ID:5/7u8u9a
ノリスケのモデルは他人のモノを勝手に持っていく朝鮮人
15 : 2020/08/16(日) 13:59:30.47 ID:zW6HV1cM
朝日はまた戦争したいみたいだな
16 : 2020/08/16(日) 13:59:38.88 ID:ZV198AUE
自分らが戦前戦中に戦争を煽ってた事実は反省せず
他人の反省ばかり求める朝日新聞
17 : 2020/08/16(日) 14:43:03.40 ID:4NRt+D1W
ヒロポンネタは長谷川の別の漫画
サザエさん一家にそっくりだから間違えられる
18 : 2020/08/16(日) 14:43:57.49 ID:P+ZZDU2A
波平は戦争帰りだろ?
19 : 2020/08/16(日) 15:04:21.15 ID:7MRbVmrI
サザエとカツオの歳が離れているのは
波平が兵役に行っていてフネとエッチしてなかったから
21 : 2020/08/16(日) 15:31:07.61 ID:V7NpfQaX
っほほうなるほど、サザエさんの前身は戦意高揚マンガで
波平は戦争帰りと。フネは危うく朝鮮人に犯されるところだった
どっかの旭日旗新聞には都合が悪そうな事実ですな
22 : 2020/08/16(日) 15:55:52.09 ID:oAcYu9jj
>全国紙に規模では劣るが、当時のフクニチは勢いがあり、紙面づくりも野心的で、若い漫画家の発表の場としては申し分なかったように思う

(´・ω・`)ノ なるほど、朝日はこれが言いたかった今はくやしいと!

23 : 2020/08/16(日) 15:58:33.96 ID:dyu0VpdC
読むの諦めたわ
26 : 2020/08/16(日) 17:14:13.76 ID:GBYXJCiD
のらくろ三等兵とかには言わないのな。

元スレ:https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/news4plus/1597552198

コメント

タイトルとURLをコピーしました