- 1 : 2024/03/28 11:54:02 ???
- 海外の人々が日本のイメージについて語るとき、「侍(サムライ)」、そして「切腹(ハラキリ)」が頻繁に登場する。そのきっかけの一つとなったのが幕末に起きた「堺事件」であるが、どのような事件だったのだろうか?
■女性をナンパするフランス人に反発した土佐藩兵
当時、尊攘過激派による外国人襲撃はやや沈静化していたが、いつ何がきっかけで再発するかわからない。警備担当者は緊張を緩めるわけにはいかなかった。一方で、外国人の横暴を座視することもできず、開港地の治安に責任を負う諸藩は臨機応変の対処を求められた。
このような情況下、大坂の堺で事件は起きた。フランス軍艦が入港した2月15日、上陸した水兵たちは道行く日本女性にナンパ行為を働き、やたら身体に触れる者もいた。
住民たちから苦情を受け、警備担当の土佐藩兵が出動するが、そのなかにフランス語を話せる者がいるはずもなく、フランス兵の側にも日本語を話せる者はいなかった。意思の疎通が充分に測れないことに加え、フランス兵には列強の一員としての驕りがあり、土佐藩兵の側には外国人による侮りを許すまいとする空気が漲っていた。
片言のオランダ語と身振り手振りによる話し合いでは埒が明かずにいるうち、フランスの水兵が土佐藩兵の旗を奪おうとしたことをきっかけに、ついには武力衝突が発生。フランス側に11名の死傷者が出る事態となった。
■切腹の様子にドン引きしたフランス人
当然ながら、この一件は外交問題に発展。前年末に大政奉還がなされたばかりで、新政府はまだよちよち歩きの状態。列強の一角を占めるフランス相手に強気の交渉はできず、フランスからの要求をほぼそのまま受け入れ、土佐藩関係者20人を切腹させるしかなかった。
かくして同月23日、堺の妙国寺で、フランス水兵の立ち合いのもと、切腹という名の処刑が開始されたが、クジで選ばれた20人には怯えた様子など微塵もなく、一人ずつ順番に、腹部を横に切り裂いたのち、自身の手で内臓を取り出し、最後は介錯人に委ねるという作法に忠実だった。ただ一つ特殊だったのは、取り出した内臓をフランス兵たちのほうに掲げながら、何事か叫んでいたこと。
最初は驚くばかりだったフランス兵もだんだん気分が悪く、恐ろしくもなってきた。11人目の切腹が終わったところで、フランス軍のデュプティ・トゥアール艦長からの申し出により、それ以上の刑の執行は中止された。
ほどなくして、この切腹の光景は新聞報道や立ち会った者たちからの口づてでフランス中に広まった。またトゥアール艦長からから聞き取りをした
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https://news.yahoo.co.jp/articles/88b83bb38f8377b26d8790d51654805ea0a2b2fc
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